占いとの最初の出会いは?
翆蓮
私の家は代々お寺でした。家系的なものもあるのでしょうが、子供の時から、いろいろなものが「見えて」いました。見たままにそれを言うのですから、周りからは変な目で見られていましたね。
占いとの出会いは小学6年の時ですね。忘れもしません、書店で浅野八郎先生の『手相術』(光文社)を手にした時です。衝撃的でした。小学校、中学校とまったく友達がいない私でしたが、占いができることでコミュニケーションツールとして活用できたことはよかったです。それと、成長するにしたがって、自分の力をコントロールできたことも大きかったです。オカルトも大好きでした。当時入手できるものはほぼすべて読んだと思います。好きというか、自分を知るための勉強でもあったような気がします。
占い師になろうと思ったのは?
翆蓮
「普通の暮らし」に憧れがありましたが、大学になっても人との距離や違和感は拭いきれませんでした。それで、「ああ、私はもっと多くの人と会って学ばなければいけない」と思い、社会人としては営業職に就いたのです。ただ、プロの占い師になるという考えはずっと抱いていました。
というのは、学生の頃から友人や知人を(手相などで)見ていたのですが、あるとき、「はい」と500円もらいました。それまで自分が占いをすることでお金をもらえるなんて思ってもみませんでした。「私は占いでお金をいただいてもいいんだ。自分の力はお金として認められるんだ」と納得できたのです。社会人としての働きと占いを並走できたのも、この「お金の価値をちゃんと理解する」ためだったといえます。働くことで得られる経験は大事です。
電話鑑定で心がけていることは?
翆蓮
勇気を見つけてあげることですね。例えば、占い師がその人にとってのダイヤモンドとなるものを見つけたとしても、それを身につけるかどうかは本人次第です。その勇気を与えたいです。また、鑑定とは見えない世界の話です。それをそのまま伝えても現実の行動にはつながりません。現実的な話にする必要があるのです。そうしないと意味ありません。生きることはリアルなことです。
相談者から見たら私は相談できるたった一人の存在です。その存在、「翠蓮」という存在に責任を持ちたいです。
「占い」とはなんですか?
翆蓮
占いは人類の誕生から神とともに歩んだ歴史だといえます。人類がある限りなくならないでしょう。なぜか、それは、私たちは見えないものに何か理由を与えることで、神に許されたいと乞い願うからです。
コロナ禍で不安に思う方も多いと思いますが、自分にとってのリアルを自分の責任で動くこと、それが大事です。そして自分の責任を理解するには、自分自身を突き詰めて考えることです。いろいろと行動が取れない今だからこそ、自分を見つめ直してほしいです。もし、それに悩み、気持ちが暗くなったのなら、私に声をかけてください。占い師はそういう存在です。
翆蓮(すいれん)
スピリチュアル鑑定師。本来の第六感に加え、占術やテクニックは霊感、霊視、霊聴、手相、宇宙語まで多岐にわたる。独自の才能と理論に基づいた自動書記による天領文字は護符として願望成就に大きく影響する。オカルティックな多方面に造詣が深く個性的だが親しみやすい人柄を慕う熱狂的な支持者が多い。